柔道とJudoで別物として扱ったらいいんじゃないですかね?

情けない、ねぇ

無惨ニッポン柔道男子に舛添氏「情けない」- 無惨ニッポン柔道男子に舛添氏「情けない」(スポーツ報知) - Yahoo!ニュース

あんまりオリンピック見てないけど、男子柔道は大変みたいですね。

一本勝ちは強いのか?-レジデント初期研修用資料
満点を取る方法と、「勝つ」方法は異なる-reponの日記 ないわ〜 404 NotFound(暫定)

上記でも言及されているけど、武道として一本を取ることと、競技として勝つってことは全く別問題な訳で、「情けない」という発言はどうなんでしょう。仮に積極的に技をしかけても、返されて一本負けなんてしたらやっぱり「情けない」って言うんじゃないんでしょうか?期待を裏切られたって気持ちは分かるけれども。でも、外野がここまで言わなくても、と思います。

優劣の決め方

日本の柔道みたいな、そもそもが殺しあいの技であった武道を、それを残したまま対戦形式にするのは、どこか無理がある。

http://medt00lz.s59.xrea.com/wp/archives/95:=title=一本勝ちは強いのか?-レジデント初期研修用資料

これは優劣のつけ方、あるいはその人の価値観の問題にまでなってくるんじゃないかと思う。柔道はよく分からないけど、剣道の場合は元々その打突で相手が死ぬ*1だろうかってことが有効かそうでないかの判断基準になっている。でも、段々とスポーツのようになっていくことでそうでなくても勝ててしまう。それどころか、元々望ましくない方法をした方が勝てるようになってしまう。こうなると矛盾してくる。

「そんな打突は実戦では勝てない。」
「実戦をする機会自体が無い上、試合で勝てない打突は意味がない。」

のような価値観が生まれる。少し話は逸れるけど、私自身も短い期間とはいえ、それなりに悩んだ。道場の先生は試合に勝つための剣道は時に「あてっこ剣道」と言って剣道じゃないといった見方をされていた。特に私が通っていた道場では逆胴を打つのも望ましくないと言われていた。*2でも、そうしたやり方をした人が実際に大会で入賞するとやっぱり複雑な気分になった。

これはどちらかが正しくて、どちらかが間違っているという単純な話では無いと思う。個人的には武道としての剣道も価値があるし、試合に勝つことを追及するということ価値があると思う。

剣道もそうだけれど、高校剣道で強かった人が大学の大会に出ると、全然勝てなくて悩んだりするらしい。どれだけ相手に竹刀を当てても、「気がこもっていない」とかで、審判の人に無効扱いされてしまうらしい。

http://medt00lz.s59.xrea.com/wp/archives/95:=title=一本勝ちは強いのか?-レジデント初期研修用資料

更にこんな風に審判の価値観によっても試合の結果が左右されてしまう。これらは主に剣道の話だ。では柔道が試合としての柔道と武道としての柔道を分けているかというと素人目には分けているようには見えない。そして、柔道だって元々の柔道と勝つための柔道、どちらも大切なんじゃないでしょうか。

ではいっそのこと分けてしまうのはどうか

だったらもう分けてしまう。柔道では武道としての理念を大事にする。Judoでは競技としてルールの上で勝つことを目的とする。それでも一本で勝つ人は勝つだろうし、そうしたことを目指す人は出てくる。そうした割り切った方が思いっきり試合に挑めると思うんだけど、どうですかね?

*1:あるいは続けることが不可能な状態

*2:逆胴は刀をさしている側の胴。真剣の場合、小太刀や鞘が邪魔になってしまう場合があるため、望ましくないと教わった。